基本情報
公開年:2007年
上映時間:126分
ジャンル: ホラー/サスペンス
監督:脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーブン・キング「霧」
主演:トーマス・ジェーン(デヴィッド・ドレイトン役)
:マーシャ・ゲイ・ハーデン(ミセス・カーモディ役)
スティーブン・キングの原作にフランク・ダラボン監督が手掛けた作品は今作が三作目。
「ショーシャンクの空に」や「グリーンマイル」が大好きなハンター田中はワクワクした気持ちで本作を見ましたが、当時は救いのない展開に絶望した記憶があります。
ただ、メッセージ性も強く、個性的で良い作品なので今回は本作を記事にしました。
あらすじ
デヴィッド・ドレイトンは嵐の後、息子ビリーと共に町のスーパーマーケットへ物資を調達しに行きます。店内はいつもと変わらない日常でしたが、突然、謎の霧が町を覆い、霧の中に潜む恐ろしいクリーチャーが次々と人々を襲い始めます。
店内に閉じ込められたデヴィッドと他の住民たちは恐怖と不安に苛まれ、次第にパニックに陥ります。ミセス・カーモディは宗教的な狂信者となり、人々の間に不和と恐怖を広めながら「神の裁きだ」と主張。生存者たちはクリーチャーだけでなく、人間同士の対立にも直面していきます。
デヴィッドは何とかして息子と共にこの絶望的な状況から脱出しようと試みますが、最後は衝撃的な結末が待ち受けていました。
エピソードに対する考察
■スーパーマーケット内での人間ドラマ
物語の中心は、突然現れた濃い霧の中に潜む謎の怪物から逃れるため、スーパーマーケットに閉じ込められた人々の姿です。霧が外界を覆い、怪物が現れる中、人々はパニックに陥ります。恐怖と絶望が次第に人間の本性を浮き彫りにし、登場人物たちの対立が深まっていきます。
このエピソードでは極限状態での集団心理が描かれています。人々は初めは協調性がありますが、時間が経つにつれ不安や恐怖に支配されて秩序が崩壊します。この状況下でのリーダーシップや信仰、そして理性と本能の狭間で揺れる様子は、単なるモンスター映画を超え、サイコサスペンスの要素が強調されています。
■宗教的狂信者の影響力
作中で最も異彩を放つキャラクターの一人が、宗教的狂信者ミセス・カーモディです。彼女は霧を神の罰だと解釈し、信者を増やしながら群衆を支配していきます。彼女の過激な思想は、次第に他の住民たちを巻き込み、極限状態での人々の信仰心や恐怖心がどのように暴走するかを描きます。
カーモディの存在は、極限状態での「人の弱さ」と「カリスマ的な人物による支配」の象徴です。人々は恐怖に駆られるあまり、理性を失い、カーモディに従おうとします。このエピソードは、宗教や信仰が正しく機能しない場合、人々がどれほど危険な道に進むかを暗示しており、社会に対して強いメッセージ性を感じさせます。
■異様なクリーチャーの存在
映画全体に漂う緊張感の大きな要因は、霧の中に潜むクリーチャーの存在です。特にクリーチャーが登場するシーンでは、従来のホラー映画とは一線を画す独特な恐怖感があります。人間が簡単に捕食される様子や、霧に潜む未知の恐怖が視覚的に強烈に描かれ、観客を震撼させます。
怪物そのものは、この映画で単に物理的な脅威として描かれるだけではなく、「未知への恐怖」を象徴しています。霧という視覚を遮る存在は、人間が本来見えないものに対する根源的な恐怖を煽り、クリーチャーの正体が分からないことで恐怖が増します。観客はクリーチャーの存在そのものよりも、「霧の中に潜んでいる未知の脅威」に対する不安を感じさせられるのです。
■衝撃的なラストシーン
『ミスト』最大の見どころは、何といってもその衝撃的なラストシーンです。デヴィッドと僅かな生存者が最後の手段として車に乗り込み、逃げようとしますが、ガソリンが尽き、絶望に追い詰められます。彼は、怪物に襲われる前に自分たちの命を絶つ決断をしますが、その直後に助けが来るという皮肉な結末が待っています。
このエピソードは、「絶望がいかに人間を盲目的にさせるか」を象徴しています。デヴィッドは息子を守るため、仲間を守るために最終的な決断を下しますが、その結果が全く逆の悲劇を生む。ラストシーンは観客に強烈なショックを与え、同時に絶望に飲み込まれた人間が「あと少しの希望」を信じることの重要性を暗示しているとも言えます。
まとめ
『ミスト』は単なるホラー映画ではなく、極限状況における人間の心理と秩序の崩壊を深く掘り下げた作品です。
恐怖やパニックの中での人間関係、信仰の暴走、家族愛といったテーマを描きながら、強烈に感情に訴えかけるようなインパクトを与えます。
特に絶望に追い詰められた人間の選択が、どれほど予測不可能な結果を生むかを描くラストシーンは、この作品の最大の見所であり、長く心に残る瞬間です。
ご愛読いただきありがとうございました。
ハンター田中